英語と自由としあわせな日々 ♪Happy life♪

大好きな英語、自由、幸せを模索する日々をつづります

英語との関わり 小学校高学年~中学一年秋編

こんにちは、akaneです♪

英語との関わりって、こうして振り返ってみないと、あまりに漠然としてて。

ブログを書くにあたって思い起こせるからいいわ~~(^◇^)

 

ま、それは良いとして・・・

 

さて・・小学校高学年になったとき、とあるに通い始めます。

その名古屋駅の西側にあり(その当時「駅裏」と呼ばれてた💦」、決して治安のいい場所ではなく、浮浪者さん やちょっと変わったオバちゃんや、その他「ヤバそう」な方々が駅の西側にたむろっておられました・・

 

私が通ってた小学校の隣の学区ではありましたが、中村区では相当有名なでありました。

塾長先生は女性でしたが、ハッキリ言って「超怖いおばはん」でした。

傑物(かいぶつじゃないよ)という名がぴったりの、ものすごい情熱的な方でした。

そして、その方の弟君が、亡くなられてしまいましたが、直木賞作家さまでした。

 

通常のとは別に「英会話クラス」もあって、直木賞作家先生が当時教鞭をとっておられました。(もちろん、まだ全く無名)

でも、そのクラスは前出の英会話塾とさほど変わりない内容ではありましたが・・・

 

直木賞作家先生はめちゃ頭のいい方で、外国の大学にも留学されていたとかで

発音もめっちゃキレイだったと記憶しています。

成果は・・・生徒が生徒だったので・・・はははは('◇')ゞ

 

そので私立中学に進学するコース(今から40年前だと、6年生からでOKだったんですよ)⇒年齢バレバレ(笑)があり、地元の中学に進学したら(そーとーレベルも低いし、環境的にもかなり悪い地域でした)、まともな学校にはいけないよ~~~な状況を鑑み、勝手に両親が先生と相談し、中学進学コースに入ることになりました。

これが、私の人生を大きく変える事になるのですが・・・

 

根性の悪い幼馴染にいじめられていた「意気地なし」の私は、地元中学に行かずに済むなら・・と、どこでもいいから私立に行くことにOKしてました。

でも・・勉強大っ嫌いだったので(笑)

とりあえず通ってはいたけど・・・のレベルでしたね~~

 

何とか私立に潜り込み(笑)、そっから豹変していきました・・・

 

とはいっても、英語は成績良くない部類。⇒勉強相変わらずキライ

私立だったので、ときどき「アメリカ人」の先生も来たりして

なんとな~~く「アメリカだあ~~」と、憧憬の念を抱いていましたね。

でも、英語の先生もあんまりネイティブの先生とは話さないし(笑)

わけわからない生徒たちにネイティブ先生たちは手を焼いていました(笑)

 

そして、入った部活がバレーボール・・

ホントはテニスが良かったのに(笑)

なんで??といまだに不明なんですが・・・

 

このバレー部に入ったことで、私の英語への道が開けていくのですから不思議です。

 

昔々の体育会系部活は、先生の体罰当たり前💦、先輩後輩の格差とーぜん💦

先輩レギュラーは神💦 後輩はたとえレギュラーでも玉拾い&先輩に対しては絶対服従💦

 

今じゃありえ~~~んな世界でした。

 

そんなバレーにかける青春真っただ中の一年生秋。

一人の新入部員がやって来ました。

 

彼女の入部が秋になったのは、、、

夏中「アメリカ」にホームステイに行ってたからなのでした!!

 

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この続きはまた~~

(だってくたびれたんだもん・・)