英語と自由としあわせな日々 ♪Happy life♪

大好きな英語、自由、幸せを模索する日々をつづります

英語との関わり 中学1年秋~中3秋 ラボ・パーティとの出会い

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 こんにちは、akane♪です。

 

先日、中学1年の秋に、所属していたバレー部に新入部員が入ってきて、彼女がその夏中アメリカにいっていた・・・という所まで書きました。

 

本日はその続き・・・

仮にMちゃんとしておきます。

Mちゃんは、とあるグループに所属していて、そこで当時まだ珍しかったひと月のホームステイプログラムがあり、それを使ってカリフォルニアに行ってきたそうです。

 

も~~~~~!羨ましいったらありゃしない!!

 

でも、無理して私立に入れてくれている両親に、アメリカいきて~~なんて、絶対言えない・・・

バレーもレギュラー争いが起き始めていて、うかうかしてられない・・・

 

そんなわけで、ひとまず、アメリカに行くのは夢として置きましょ・・

そんな感じで、2年生に進級しました。

 

そして、2年生の夏・・・

なんと!Mちゃんがホームステイの受け入れをすると!!

夏休みでも普通に練習はあるし、こいつ、レギュラーはあきらめたな??などとほくそ笑んでいる場合じゃなかったのですが(笑)

 

合宿練習・登校練習と続く中、その受け入れたアメリカ人の女の子

学校に連れてきたのです。

 

遠巻きに眺めている私たち・・

そして、暑そうだなあ~~と思った私は・・

おいで、おいでをしてみました。純和風の、おいでおいでです

 

彼女は(アメリカ人)ちらっと私の方を見ましたが、シカト・・・

 

「あれ???」

再度、おいでおいで・・・

シカト

 

「????」

 

あ!!!!そういえば、大好きなテレビドラマで「おいで」ってやる時は、手のひらを上にして腕を巻き込むような?しぐさだったっけ???

(バスガイドさんが、バスを誘導する時みたいな?)

 

試しに、かも~~んのしぐさで、彼女をお招きしてみたら・・・

 

うれしそうに、こちらにやって来て、ウオータークーラーの水を飲んでいました!!

 

ですが・・・

私は彼女に特別話しかける事も出来ず・・・

コップにお水をついで上げたときに、

「Thank you!」と言われたのだけを覚えています・・・

 

で、Mちゃんはと言うと・・・

 

ほとんど私と同じレベル(;^_^A

 

はっきしいって、社交的でもないし、他のご家族も英語を話せる人は皆無

どーやって意志の疎通をしてるのか??不思議でしたが・・・

 

「何だか、わかんないけど・・・、テキトーに通じてるよ~~(笑)」

 

まぢかっ?!

 

テキトーでいいの??

 

カルチャーショックを受け、その後の私の「アメリカへ行きたい!」という夢は膨らんでいったのでした~~。

 

無事レギュラーの座を射止めたものの、体を悪くして(小さいころ患った病気の再発)バレー部ではマネージャーという雑用係になったのですが、キャプテンより威張ってたっていう噂も(笑)

 

その後、夏の大会を終えて、引退となった部活。

高校はエスカレーターで進学できた事もアリ、これから何やろうかなあ?と考えておりました。

そして、Mちゃんの所属グループの話を聞き、誰でも行きたい人はアメリカに行ける!というステキな事実を知って、迷うことなくその語学グループに入会することになったのでした!

 

現在でもそのグル―プは、日本全国に教室(?)があり、長い先生は45年も指導されているという、語学教室の草分け的な団体です。

 

Mちゃんが所属するグループに連れていかれ(宗教じゃないよ)、仲間(当時同じ年の子たちが5~6人いた)に紹介され、突然、「じゃあ、あんたこの役やって!」と。

 

その団体は「ラボ・パーティ

 

ラボ・パーティという団体は、テーマ活動なる「お芝居」を英語と日本語で演じ、小道具や衣装など基本的に使わず、身体表現ですべてを表現するのがメインの活動でした。

 

物語を主軸に、お話が英語と日本語で入ったテープを聴き、セリフを覚え、演劇として発表会でみんなに見せる・・

 

ありえ~~~~ん!!!恥ずかしいやろ~~~~!!!

 

ですが、アメリに行きたい一心の当時の私は、この恥ずかしい&訳の分からないグループでの週1回の集まりに行き始めたのでした~~

 

この後、想像以上に長く付き合う事になるとは、夢にも思わない私でした・・・

 

 

ではではまた!

 

 

 

 

英語との関わり 小学校高学年~中学一年秋編

こんにちは、akaneです♪

英語との関わりって、こうして振り返ってみないと、あまりに漠然としてて。

ブログを書くにあたって思い起こせるからいいわ~~(^◇^)

 

ま、それは良いとして・・・

 

さて・・小学校高学年になったとき、とあるに通い始めます。

その名古屋駅の西側にあり(その当時「駅裏」と呼ばれてた💦」、決して治安のいい場所ではなく、浮浪者さん やちょっと変わったオバちゃんや、その他「ヤバそう」な方々が駅の西側にたむろっておられました・・

 

私が通ってた小学校の隣の学区ではありましたが、中村区では相当有名なでありました。

塾長先生は女性でしたが、ハッキリ言って「超怖いおばはん」でした。

傑物(かいぶつじゃないよ)という名がぴったりの、ものすごい情熱的な方でした。

そして、その方の弟君が、亡くなられてしまいましたが、直木賞作家さまでした。

 

通常のとは別に「英会話クラス」もあって、直木賞作家先生が当時教鞭をとっておられました。(もちろん、まだ全く無名)

でも、そのクラスは前出の英会話塾とさほど変わりない内容ではありましたが・・・

 

直木賞作家先生はめちゃ頭のいい方で、外国の大学にも留学されていたとかで

発音もめっちゃキレイだったと記憶しています。

成果は・・・生徒が生徒だったので・・・はははは('◇')ゞ

 

そので私立中学に進学するコース(今から40年前だと、6年生からでOKだったんですよ)⇒年齢バレバレ(笑)があり、地元の中学に進学したら(そーとーレベルも低いし、環境的にもかなり悪い地域でした)、まともな学校にはいけないよ~~~な状況を鑑み、勝手に両親が先生と相談し、中学進学コースに入ることになりました。

これが、私の人生を大きく変える事になるのですが・・・

 

根性の悪い幼馴染にいじめられていた「意気地なし」の私は、地元中学に行かずに済むなら・・と、どこでもいいから私立に行くことにOKしてました。

でも・・勉強大っ嫌いだったので(笑)

とりあえず通ってはいたけど・・・のレベルでしたね~~

 

何とか私立に潜り込み(笑)、そっから豹変していきました・・・

 

とはいっても、英語は成績良くない部類。⇒勉強相変わらずキライ

私立だったので、ときどき「アメリカ人」の先生も来たりして

なんとな~~く「アメリカだあ~~」と、憧憬の念を抱いていましたね。

でも、英語の先生もあんまりネイティブの先生とは話さないし(笑)

わけわからない生徒たちにネイティブ先生たちは手を焼いていました(笑)

 

そして、入った部活がバレーボール・・

ホントはテニスが良かったのに(笑)

なんで??といまだに不明なんですが・・・

 

このバレー部に入ったことで、私の英語への道が開けていくのですから不思議です。

 

昔々の体育会系部活は、先生の体罰当たり前💦、先輩後輩の格差とーぜん💦

先輩レギュラーは神💦 後輩はたとえレギュラーでも玉拾い&先輩に対しては絶対服従💦

 

今じゃありえ~~~んな世界でした。

 

そんなバレーにかける青春真っただ中の一年生秋。

一人の新入部員がやって来ました。

 

彼女の入部が秋になったのは、、、

夏中「アメリカ」にホームステイに行ってたからなのでした!!

 

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この続きはまた~~

(だってくたびれたんだもん・・)

 

 

 

 

英語との関わり その2

 こんにちは~akane♪です

 

はてなブログ二日目・・・

わけわからず、悪戦苦闘中です( ノД`)シクシク…

 

写真って300MBしかアップ出来ないの??

どーゆーこと???

と、テンション下がりまくりの二日目です・・・

 

さて、気を取り直して・・

昨日の記事で👇

leadeigo.hatenablog.com

 ほんのちょっとだけ、英語との馴れ初めを書きましたが・・・

名古屋の下町で、商売をしていた家庭で育った私は、当然英語環境なるものは皆無でした。

公文も(笑)ECC(笑)もな~~~んにも無い時代で。

当時のお稽古事は 習字・ピアノ(オルガン)・お絵かきくらい・・

気の早い親は学習塾に小学校低学年から入れたりしていましたが・・・

 

何となく「英語が話せるって、ステキだなあ~」とは感じていたものの、方法もなく、そのまま日本の当時の環境で日常を過ごしていたようです。

 

ただ・・・そんな中でも、テレビではアメリカのドラマをよく放映していました♪

大好きだったのは

陽気なルーシー⇓

男性アクションtype-B_マイク・コナーズ:Here's Lucy : Lucy and Mannix Are Held Hostage

奥様は魔女

奥さまは魔女:キャラクター

パートリッジ・ファミリー

など、他にもたくさんあったと思いますが(大昔すぎて忘れた・・・)

豊かでカッコいい「アメリカ」に強くあこがれていましたね~

 

アメリカ=英語

 

ちょっとだけ、教育熱心?だった母は近くの「英語塾」を探してきて

一緒にお習字に通ってた幼馴染に誘いをかけ、小学4年生の時に通い始めました。

 

その頃は、何だか中学生の教科書とあんまり変わらないテキストで

「リピート アフター ミー」とか先生が言って、生徒たちが復唱する・・・

そんな感じでした(笑)

 

でも、日常で一切使わないから(当たり前だし、現在もそうだと思う)いつまでたっても話せるようにならない・・・

 

結局、その後まもなく中学進学塾に通う事になり、英語塾は辞めてしましました。

 

ここに(塾に)行けば、話せるようになるかも??

という期待は、あのころからずっと日本中に蔓延ってる「神話」なのかもしれません。

 

という事で、英語との関わりの「さわりのさわり」を書いてみました。

 

本日はこの辺で~~~